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見えない理由
誰かを嫌いであるとしよう。人間だから合う合わないがあり、避けたい人間から嫌いな人間、ひいては許せない人間、憎むべき人間へと変化するのは初期段階の意識では避けられない。これを無くしたい。誰かが嫌いなとき、その誰かという特定の者は、実際には我々のマインドの中にしか存在しないのではないか。その誰かは、想念でしか捉えることができないのではないか。あるいはその相手の肉体を目の前でみるとき、マインドが関与しなければ、あるいは記憶喪失にでもなるならば、純粋に接することができるに違いない... -

すべての一体性について
「人類と私は同じ意味である」とか、「世界と私は同義語である」とか言うとき、周囲の木々や、樹皮や、生えているキノコや、あるいはそれらを照らす太陽など、すべてを自分と感じている状態なのかと聞いてくる者がいる。今述べられた形態の側面は、人間の意識においては存在だとみなされているが、私はそれらを存在と見ておらず、ただ表現と見ており、その表現を可能にさせているフォースがどのようなものであれ、フォースはエネルギーであり、すべてに浸透する自由で純粋なエネルギーつまり生命が私だと言ってい... -

平和物理学
リズムの不均衡は本当のところ、時間がもたらす錯覚であって、宇宙センター内には存在しない。このことについて熟考する必要がある。なぜなら、それは平和の秘密の鍵を握っているからである。その言葉の意味を余すところなく把握する必要がある。なぜなら、それは次の人種での意識拡大を説明するものであり…… アリス・ベイリー「宇宙の火 2」p.284 高位のリズムと低位のリズムが大まかに言えばある。人間の場合、霊のリズムと物質のリズムが混ぜ合わされたものであり、通常は完全に物質のリズムに支配されており、... -

燃える光の真昼
「真我探求への欲望だけは唯一許される欲望だとラマナ・マハルシは言っています!」と語る者がいた。クリシュナムルティなら苦笑いするだろう。この自我の言う真我探求に欲望が含まれているうちは、それが霊的欲望であれ、つまり霊的野心であるゆえ、その個人的な野心が邪魔をして、真我は理解されないままだろう。彼は実際のところ、真我を探求していると言うよりも、自分の幸福を目指しているか、自分の不幸から逃れたいだけである。多くの初心者における「真我探求」なる表明は、自我による自我拡大のための巧... -

背後と背後を隠すもの
最もリラックスした状態とは、最も集中している状態である。矛盾しているだろうか。 平均的な瞑想者は集中しようとする。熟練した瞑想者は集中の先の世界にただ存在する。これは、エネルギーとフォースを識別していないことによる同一化の違いを指し示している。集中しようとする個人の、そのような騒動、個人的な動機から引き起こされる騒動の背後に、集中の世界がある。言い換えると、メンタル界の背後にブッディ界がある。これが「何もしなくてもよい世界」である。それは調和が達成されているがゆえである。こ... -

火の正用と誤用
瞑想は「無」になることであろうか。仏教的な「無」の概念は、すべての消滅を連想させる。一方で、我々は低位我から高位我に移行すると言う。低位の我から高位の我に移行することと、「無」の概念は整合性があるのだろうか。客観と主観がある。顕現とその原因がある。外と内がある。これらの前者に注目を焦点化させていたときに生じていたもの、自我意識を含めた外的な、低位の、客観的なものすべてが、移行という撤退能力によって停止するだけである。それは、人間における既知の「無」である。それは錯覚の終焉...

